第8章 NHKに提供できるほどの真実とは

 邪馬台国に内乱が起きて、それを逃れて中大兄皇子を百済出身の母君が連れて、今は兵庫県の三木は細目に避難していました。まるでこの話もダビデ王の逸話にそっくりですが、皇子は押忍辺(おしんべ)という家の牛飼いの子供として雇われていた、と。

 ところが、村の祭りの日にその子が和歌を詠んだから大変です。

 村人は驚いて、その子に問い正したところ、なんと中大兄皇子だったわけです。

 それで、村人は跡部へと皇子を緊急避難させたわけです。

 今でも三木の久留美や岩屋、木旗にその伝承のある神社があります。神社は遺跡なわけです、当時を知る手がかりですな。

 こんなん、ここであなたに暴露したら、あなたNHKに情報提供するでしょ。2005年の大河ドラマ候補は大化の改新みたいですから。でも、その時はちゃんとEQUALのマスター奥津さんから聞いたと言ってくださいね。

 そう言えば、後腐れなくてよいですから、いやいや、みんな独り言です。

そして、中大兄皇子の祖国、百済の国教である仏教を取り入れたのです。

 しかし、中大兄皇子、後の天智天皇は、鎌足の影に震えながら過ごしました。いつ自分も暗殺されるか解らないという恐れから、滋賀、近江に逃れて都を築いたわけです。

 新羅は今で言う奈良時代は大国です、今のEUみたいな感じです。

 脅威だったわけです。

 聖徳太子を暗殺してしまった中大兄は気が気ではいられませんでした。

 鎌足はその一部始終の黒幕、フィクサーなのです。

 

 藤原鎌足と言い聖徳太子と言い、良いか悪いか数奇にも私たちの身内にあたるんですが、その息子の定慧も不比等も実際に鎌足の子かどうか分らないのです。

 天智の妾さんを鎌足はもらったわけで、貰ったときにはすでに息子まで付いていたわけです。お腹の中に。

それでも鎌足は息子の定慧や不比等を愛したわけですよ。

 今でも奈良の若草山の頂上に鶯山古墳という全長103mの巨大な前方後円墳があるわけですが、誰の墓か分からないとされています。

 宮内庁やらが私たちに無断で、仁徳天皇の皇后墓であるとしてしまっています。

 しかし、言うなら、あそこは奈良の超一等地ですよ。

 平城京すべてが全貌できる場所にあるのです。

 それで、平城京を建てたのは一体どこの誰です。藤原不比等でしょ。

 あなたも見に行ったら分かりますが、あの古墳は真北から真南に向かって造られているわけですよ。

 つまり、丹後と三輪を睨み付けるような形で建っているのですね。

 頭が北を向いてるというのは、丹波を背にはできなかったからでしょう。

 前方後円墳というものは、親君のほうに円を向けて作られます。前が入り口、後が祭祀の場所なのですね。

 藤原家といいますが、不比等は当時の為政者であり大王、天皇であったわけです。

 だから、不比等は「我は藤原なれどもただの藤原にはあらずぞよ」と言われたと伝えられております。

 では、鶯山が何を意味するか分かりますかな。

春日に鳴く鳥が鶯。春日といえば藤原不比等。ただそれだけのことですよ。

何も難しいことはない。また、私たちも春日大社や談山神社の氏子なので分かりますが、春日の神体が若宮、つまりニギハヤヒなのですから、だいたいこの国が中国の建築文化を本格的に受け継いで大構造建築物を建て、急激に成長したのが西暦500年代 後期から600年代前期であるぐらいのことは分かりますよね。

つまり、奈良時代と今現在歴史や教科書で言っておる時代は、言うなれば邪馬台時代だったというわけです。

だから不比等にしたって、大王の一人なのですから、言えば、日本初期段階の大王系譜ということです。

不比等の民族的統一路線に反発した為政者が立てたのが桓武天皇です。

桓武といわれる光仁の母君は、今でいうところの大韓民国の出身です。

アジアが一つであった時代があるのです、今の尺度計算は通用しないのですよ。

どうも宮内庁でも神社でも間違った歴史の解釈でつまりこの国に一貫した正統性を持たせようと努力するけど、すればするほど、男性のニギハヤヒを女性にしたり、天皇の系譜を万世一系とするなどという事が往々にして示しているように、無理なシワ寄せがこの国を覆いかぶせてしまい、本当に本来、世界的な文明首都であった世界に誇れるようなリアルな日本の姿から遠ざかってゆくわけです。これは、悲しむべきことですな。

若草山の山焼きぐらいでは不比等やこの国を愛した本当の「日本人」先達の志を葬り去ることなんて出来ませんよ。

なんで貴人の墓の周りを焼くのでしょうか、現代の人々は。ほんとうに。

焼くといえば信楽焼きという焼き物がありますが、行ってみたらわかる、京都と滋賀の間に平城京から一時都を移したのです、新羅が攻めてくるって噂で。

そりゃあ、聖徳太子は新羅の王だったのだから、怒られて当たり前です。

つまり、恐ろしいことが始まろうとしていたわけです。

中国、新羅、連合で天智らの天皇家も藤原家もろとも、潰そうとしてきたわけです。

この怒り、恐怖と来たら、あなた、たまりませんよ。

それで、悩んだ結果が、ひとまず遷都。慕仁京から、またその奥地へ。しかもその紫香楽宮はお寺なのです。

この紫香楽が滋賀の語源で、事実新羅からいただいた掛詞にしてあるのですよ。

つまり、完全に降参しています、そして、戦力が無い、どうしようもないということを必死で訴えたのです。それでも当然許されません。

その窮地に立たされた日本へ、あの鑑真が危機を救うべく渡航してきたわけですな。

なんせ、幾度の嵐、難航で目が見えなくなったのです。

それほど鑑真を動かしたものは、中国や新羅が日本を攻め滅ぼしてはならないという、大きな慈悲心です。

それで、日本の行基そして良弁も、同調し、当時新羅も仏教国で、国家の守護神である毘瑠遮那仏を日本に大仏として建造し、新羅の属国となって難を逃れたわけです。

大仏は中国皇帝の実兄であり、かつ極東アジア邪馬台国の倭王聖徳太子ニギハヤヒの慰霊のモニュメント、十一面観音や不動明王と同じ意味合いで創られました。

総国分寺として大仏を中心に、全国に国分寺、国分尼寺が創られたのです。

ところが、大仏以下ほうぼうに作られた寺院の本尊はほとんどといっていいほど薬師如来でした。

大仏計画者の良弁その人が、強烈な十一面観音信仰者であったわけですが、薬師如来を十一面観音の化身と捉えていたのです。

聖徳太子二ギハヤヒでさえ、重臣秦河勝と同じく景教、つまりキリスト教を奉ったでありましょう。隋への書にある西天の菩薩とは煬帝だけのことではなく、秦の始皇帝にはじまる中華王朝そのものが、ダビデ王その人から派生したことを物語っています。

つまり、西天の菩薩とはイエス=キリストその人であります。

薬師如来の指の形をご覧ください。そして今度は、このキリストの絵をご覧ください。指に注目ください。

あなたは、何かを感じずにはいられません。

大仏建造は何も天皇の権威のみせしめではないのです。教科書は何を教えているのでしょうか。

もう少し知りたいですか、それでは言いましょう。

日本が恐れたのは「金銀」の他国への流出です。

正確には金銀を使った軍事兵器の生産に対する懸念ですがね。

その金が、佐渡や岩手で最も採れました。

岩手が黄金の国ジパングの本源地であり、なぜ第一に開かれたのか。

この県名というのもむやみやたらに付けれたのではいないのですよ。

まんが日本昔話では、赤鬼が岩に手で刻印したから岩手だというのを昔みましたが、赤鬼といえば、赤は海部、物部の戦闘カラーで、甲冑から軍旗から全部赤色だったわけです。そのニギハヤヒの皇軍が金の埋蔵を確認した上で、あなたの住んでいる北上、前沢に至る一帯を居城としたわけです。

岩とはスサノオ、ニギハヤヒ。手とは経済基盤です。

岩手とは天皇ニギハヤヒが国家を運営するに当たってその基盤としたところに端を発します。

南部牛追い歌に隠された秘密は、このパンフレットをご覧ください。

<南部牛追い唄>〜岩手の民謡〜

田舎なれどもさはえ

南部の郷はよ

西も東もさはえ

金の山こりゃさんさえ

今度来る時や さはえ

持ってきてたもれよ

奥の御山のさはえ

なぎの葉をこりゃさんさえ

備考:なぎの葉は(天皇家象徴)草薙の剣

しかし、物部同族、大和軍将軍坂上田村麻呂の友好と説得により、天照ニギハヤヒの孫、日ノ本国天皇アテルイは天皇象徴、草薙の剣を携え大倭日ノ本国から大和へ向かったのですが、皇孫の権威を恐れてきた百済系新政府が、河内にて日ノ本国天皇アテルイを処刑してしまったことによって、日高見国の繁栄も幕を閉じるのです。

岩手の金は船を使い、新大倭、大和朝廷へと担ぎ込まれました。

大仏は大きいですね。どうしたところで動かせません。ほら、これ以上は言いませんが、わかりますでしょう。」

「何がです。」

「まぁ、隠したといっても、豊臣秀吉が解体して金を取ってしまったわけです。はっはっはっは。いやいや。ほんとうに、大仏の再鋳造の記録なんてものはございませんよ。私の教え子もある禅宗の僧侶なのですが、東大寺で去年の11月に宗派を超えて70人の僧侶で歎佛法要に参加したんですがね、須彌壇の上に乗ったんだそうですよ。そのとき、大仏の後ろの一部が剥げていて、剥げているそこだけが金色だったのですよ。剥げてきているのに金色なんて、面白いですね。



第8章の2 マスター時代を斬る 嘘社会からの脱却

ですから、なんでも、嘘社会、嘘社会と、日本では裏と表がありすぎて、大人から子供までそれに迷走しているわけですが、その原因、根源、みなもとが、つまり日本神話然り、古代日本史の偽造というところにあったわけです。

これは、右とか左とかどんな思想家があるにせよ、後世の世界人となる今の日本人の子供たちには、今のうちにわれわれ大人がきっちりした形で伝えなければなりません。

つまり、教科書で嘘を教えている限りは、学力の向上なんて望めないわけです。

世界の国々との歴史関係、地質調査とあらゆる調査、そして研究は人類が生きていく大前提でたいへん重要だということに文部科学省はもとより、われわれ、子孫に対して先祖にあたる人類の親は気付くべきだと私は思うのですよ。

仮に川の流れに例えたら、未来人たちにとって私らは上流なのですから、にごり無く嘘の無い状態、綺麗にしておらなければ、おいしい水を子孫達が飲めなくなるわけです。

この責任の重さをきっちり感じていかないといけませんね。

実際の水が汚濁されていたら、人間は癌になるでしょう。

空気や食料、生活環境に例えても一緒ですよ、ほんと。

川が心に例えて言っているわけですから、心が汚れてたらノイローゼ、キレやすい子供ばっかりになってしまいますね。

一言目にはムカつくとか、ボキャブラリーの無い、つまり嘘の部分が肉体を安定させず、心が正常に働かないから単細胞化してしまうわけですよ。言語も。これは危険ですよ。現に日本国はそうなっているのではないでしょうか。

 

邪馬台国からはじまって日本と呼ばれて後々、この国に明治維新が起こるわけですが、薩摩藩出身の伊藤博文などはとんでもないことを言ったといいます。

 孝明天皇はもう亡くなっている、と。現に今の明治天皇は自分等が山口から連れてきた人間を天皇にしている、と。こういうことを言っているのですな。

 孝明天皇はもう毒殺されていて、天皇家はそこで絶えてしまったと言っているのです。

 ならば、日本の歴史を、ほんとうにしっかり調べてみる必要があります。

 伊藤博文は天国で言っているかもしれませんよ。「みんな天皇家、途中で何回も絶えとるよ。」ってね。

 

 

 だから、今何代と言っているのは、面白い話、時の為政者つまり黒幕によって選ばれたということです。逆に言えばリーダー象徴としての天皇が確かに続いているわけですよ。

 憲法改正で天皇に参政権を日本人が認めたら、世の中少しは良くなるのではないでしょうか。天皇への信頼度はすなわち国のポテンシャルを測る上での目安になるわけです。

 嘘教育を止めて本当の意味での教育が始まれば、の、はなしです。

 実際私たち年寄りも、今まさに勉強させてもらっているわけです。あなたがた若者がこれから日本で、世界で、どういうリアクションして行くのかと、楽しみに。

 

 だから、新しい世の中に恨みや何がはびこると、これ当然いけないわけですな。

 それでも、一番怨念を残しているのは、讃岐に島流しされた崇徳天皇です。

 彼は自分の指を切って、仏教の教えを書いて朝廷への復帰を嘆願したのです。

 しかしながら、それを無視されたわけですよ。

 それから天皇家は呪い殺すと、「民を王となし、王を民となす。」と、呪ったわけです。

 呪いと言いますが、人間の良心に逆らった行動は、結果として悪行を働いた本人とその家に降りかかるのが、天地自然の法則です。遺恨とは限りなく恐ろしいのです。

だから、今現実天皇家は民間から人を引っ張らなければ維持できないようになってしまい、もう次の天皇からは、完全に一般化するのです。

 

 日本の天皇家は、南北朝の時代室町の頃から絶えているし、大正時代には偽天皇がいっぱい現れたわけです。

 われは何とか天皇の末裔だとか言い、大勢現れたわけです。

 そして、維新を起こした人々が言ったことは、孝明天皇は毒殺したと、新天皇は山口から連れてきた人間だと言っているわけでしょう。

 日本の大君というのが、聖徳太子その人の代で終わっているわけですし。

 変な話、天皇がどんどん作られただけなのですよ。

 だけど、その系譜をなんとかしたいわけですね。

 第一代から第十代までは実際には存在してないのですよ。

 なぜか、一代から十代までは、もう、東北岩手青森に荒覇吐アラハギは日高見国、これ日本の源流大倭日ノ本国が起きて九州の筑紫の国、日向や出雲の王朝と戦っていたわけですから、安定した一系の天皇ではなかったのです。

 つまり、世襲ではないということです。

 それでまた、日弥呼そのものが天皇であるのを隠すために、天皇の御代を一代勝手に抜いていますでしょう。つまり、神功皇后を抜いています。壇ノ浦で死んだとされる平家の安徳天皇も和歌山で僧侶となって高倉寺を建てて生き延び、実際は戦死してないわけですが、この国の今の歴史換算でいけば、彼は80代ではなく、81代となるわけです。

 まあ、その一代神功皇后、つまり邪馬台国の日弥呼を外しておいてくれたお陰で、逆にその人が誰なのか分かったわけですがね。

 皇極天皇と言え斉明天皇と言え、景教を日本に齎した謎の女帝がおられるわけですが、和歌山は新宮に伝説の多い、あの徐福とまたこれ、関係が深いのではないでしょうかね。

 徐福のことは、以前映画になりかけて、なぜか話はそのままになっているぐらいです。和歌山というのが倭香耶麻であるのでしょうか。

 近畿であり、紀州木の国である和歌山、徐福は弘法大師とも繋がっているように感じます。

 日本書紀やら古事記やらの畿内の伝説では、ニギハヤヒと神武が出会ったときに、お互いに御印を見せようということになったというのですがね、その時に、双方がまったく同じ天皇の御印をもっていたため、戦う理由が存在せずに神武が一旦日向に引き返したと言うのです。日本書記はおかしいでしょ。

 それで、日本にはニギハヤヒつまり応神の時代に、朝鮮半島から何十万という大勢の人が入って着ているのですよ。

 だから、今の日本人が、朝鮮人や中国人を差別すること自体がおかしいといわれるのはそこなのですよ。

 差別することは、自分たちの先祖を差別することになります。

 それは、愚かな行為です。

 三種の神技の御印にしたって、銅は中国、鉄は韓国の一番産出したのは新羅の久那国うんぬんですが、ずばりと言えば伽耶国です。

 この奈良って呼び名も朝鮮半島のクンナラを語源としているのですよ。

 また、飛鳥は、朝鮮半島の語で安らぐ所を意味しているわけであって、国というのもクニは郡と書き、朝鮮半島では村、集団で生活する意味なのです。

いかにこの国に韓国朝鮮の人が入ってきていたかということを察します。

 

 だから、古墳の問題でも、応神ニギハヤヒの時代に大勢の人を招き入れたために、これだけ日本には古墳が多いわけです。

 日本の古墳は早くても4世紀5世紀だろうと考古学では言われています、それから遡ったとしても3世紀後半だろうといわれているのです。

 それより3世紀早いとなると、紀元前の話になってしまいますよ。

 なので、問題は日本の歴史の本当の部分です。

 

 三輪山や嶺山、氷室山に剣山、黒叉山についての調査はもとよりですが、日本が地上の歴史においても天文史においても、その重要な位置にあるということは分かっているのですから、伊雑宮を立ち上げることによって、内宮は男神である、外宮は女神であるという元のさやに戻すようにしたら良いと感じますよ。

 伊雑宮も一応今、式内社であり官幣大社できっちりした宮司さんもおられるのですが、みんなが行くところといったら、三重の伊勢ですね。

 もう、ひどい人なんか伊勢神宮の内宮だけです。内宮にお参りに行って、外宮に行かないで家へ帰られるのですから。

 外宮は眼中に無い、って。内宮だけ参って伊勢を参ったつもりになっている。

 

 神社参りがご利益が無いといいますが、だから、今の時代はそんなものです。

 もう、みんな、有名どころの女神としての天照大神だけっていう意識なのです。

 それで、仮に神戸辺りで、西宮の神社でも、天照大神をお祭りしています。何か奈良の三輪の神社と一緒で神様の気配がしませんでしたが。

 でも、そこの宮司は神様がいるように思い込んでいるみたいですよ。

 まあ、言うなれば変なはなし、なんとか教団の宗教が金儲けをしているだけでしょう。

 なので、猿田彦も天照大神も別な神だと思っているわけです。

 でも、猿田彦=天照大神=ニギハヤヒ、全部同一神、同一人物ではないですか。

 まあ、はっきり言えば陰陽なんですよ。まさしく陰陽の世界。

 有名な話、奈良時代から平安時代にかけて、安部晴明と芦屋道満という人が居ました。その芦屋道満は、兵庫県の高砂の人でした。

 安部晴明だけが、狐の子と言われ、出身不明なのですよ。

 聖徳太子の本名と言えば海多利子北狐と書くから、血縁関係があるのかもしれません。

 いずれにせよ、安部清明は高度な陰陽道を体得し、平安京の設計に携わった。

 

 面白いことに聖徳太子その人が、大陸から渡ってきたように、安部清明もそうなのです。狐は稲荷と呼ばれます。稲荷と言えば豊受大神、豊受大神と言えば天御中主、天御中神と言えば国常立大神、国常立大神といえばニギハヤヒ、ニギハヤヒと言えば天照大神、天照大神と言えば応神天皇、応神天皇は崇神天皇、崇神天皇その人が聖徳太子、と、リンク、サーフィンし続けるんですよね、この因縁と言うメビウスの環の様に。

 故国を追われて日本に辿り着いた、百済族。それを追いかけた新羅族。そして、その新羅族がニギハヤヒ。

 だから、経緯を探せばはっきりしてくるとよく解ると思いますが、兵庫の揖保に一宮があり、これが岩の大神って呼ぶのですが。岩は誰だと言うならスサノオを顕しているわけです。

 面白いことに、一宮の岩は大国主スサノオなのです。

 それを追いかけてきたのが、天火矛でしてね。ミヨシ神社に祭られています。

 二人の決戦の話が面白いのですよ。揖保川を上がってきた、と。そこで、岩の大神は生野一宮の方から戦いを挑んだ、と。

 天火矛は、川の中州に島みたいな所がありまして、そこに一本剣を挿して、その上に乗り、「我は新羅の王で天火矛と申す。」と、名乗ったといいます。

 ところが、その岩の大神、大国主が敗れて天火矛が上陸した。

 その上陸した天火矛が生野の鉄族、いわゆる伽耶国から出て来ているから、鉄の産地。だから、良いタタラがある、と見込んで上陸してきたと言うことです。

 伽耶国と言えば当時から有名な鉄の産地であったから、生野の土は赤土だし、ぱっと見たら分かるわけですよ。これは上質なタタラが採れる、と。

 そうであれば、当然剣を作りますよね。

 一挙に岩の大神は敗れてしまい、それで天火矛がずーっと、伊豆市の方に進攻して、本田町なんかでも、朝鮮式の焼き物、今、たちび焼きというのも残っているわけですが、大体にしておかしいですよ、この話は。

今の聖徳太子の仏教、物部、藤原、蘇我氏の関係みたいに大いににおう。

 考えてみてください。

 天火矛もニギハヤヒも大国主スサノオも、同一人物です。

 言えば、きりが無いほど多くの名前を付けられています。

 ニギハヤヒという人は一名ニギハヤヒですが、またある一名は天照大神と申されます。先に申し上げた通り、天照国照ということで天照を意味しています。

 そして、彦でこれ猿田彦を顕しています。櫛玉で慈悲深き、穂明命、そのホアカリ命から籠神社つまり丹後が分るでしょう。大巳貴ともいいますし、葦原志功命ともいいます、大歳大神ともいうし、八矛大神ともいいます。

この神々は、全員大和神社に祭られていますよ。

 ということは、大和でも三つに別けてありますが、実際三つとも一つというわけです。

 まぁ、変な話、肉体と魂と心に別けて祭っているわけです。

 三輪でも見てきてください。三つ祭ってあるでしょう。

 希御魂、幸御魂、魏御魂、というでしょう。そして、荒御魂。

 大和神社の場合は、荒御魂と魏御魂と御本体ということでしょう。

 しかし、名前は、御歳神、八矛大神、大国主となっていても、全部が一つです。

 天照大神、応神天皇、猿田彦、火明命、ニギハヤヒ、大国主、大物主、大巳貴、葦原志功命、オオヒルメ、金山彦命、大歳大神、若宮、御歳大神、八矛命、神武、奇魂大神、天火矛、月読命、高良玉垂命、金山彦神、聖徳太子でも厩戸皇子、豊聡耳皇子など、数え切れないほど探せば出てきて、それら別々だと思っていたのが只一人の人間であったということです。

 例えるなら、あなたは一人だけど、あなたが色んな仕事をしているのだということです。

解りやすく言えば、本業は僧侶、しかし、あるときは小説のライターである。あるときは環境保全活動家だと、またあるときは学者だと、こういうことなのですよ、極端なはなし。

 大国主の名前、このニギハヤヒの名前を言うなれば、八百万神の如しというほどの名前があるのです。


●ここに掲載してある文章及び映像・ドラマ化等の著作権の一切は現在、日本環境保全組合JKエンタープライズに基準しています。

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