第6章 マスター日本の役割について語る

 神武天皇の東征があって、天照ニギハヤヒと戦ったなんていうのは後の作り話です。

 結局、天皇家を影で動かしてきた為政者が自分達の支配権を主張したいがために最初から天皇が日本に居たという物語を作ってしまったわけです。

 なので、別の問題は、結局は、物部の一族の祖。天照と呼ばれるニギハヤヒがどこの人かということです。

ところが、面白いことに長野県の諏訪大社。

諏訪大社には守屋という祭りがあるのですが、その祭りでは今でこそ鹿の剥製を何十頭も並べるのですが、古代は何をしていたかというと、生きた鹿の首を落として、その血がついたまま、横一列に並べていたというではないですか。

 祭りの名の守屋は、「物部守屋」ですよ。

ね、そこから守屋祭りの名前がきているわけです。

 ただ、それだけですが、もう少し話すと守屋は、日ユ同祖論の問題の地ともなってきます。失われたユダヤの10氏族の一つが日本に来てるという、説です。

イスラエルの地に元祖のモリヤがあるわけですよ。

 鹿は、藤原の象徴のように若草山にいたり、元来吉野の大台ケ原に日本鹿が生息していますが、この守屋は別名「大鹿」で、いわゆる中臣鎌子の先祖である由縁、考えるまでもなく、物部と中臣が、これ表裏一体、一つの存在であることが分かってきます。いわゆる茨城鹿島の大鹿は中臣で、その実、物部守屋だということです。

また、これは、はっきり伊雑宮が蘇り、河合神社が蘇りしてくると、物部氏が十種の神宝というのを持っていた、それがモーゼの十戒ということに気が付きます。

 というのは、アロンの杖とアーク、今まさにユダヤの人々が世界中を探し回っているものが日本にあるということです。

 だから、十種の神宝というものが、10種の神技と言われるわけでしょう。

 物部氏は、長野の諏訪へ、そして秋田へと移住してゆきましたが、途中、富士山の今は箱根と呼ばれるその箱根の箱の意味は、これ「日嗣」のことでしょう。西洋ではアークとか言うんですかね。

しかし、それを、ま、変な話。

物を隠すとなれば、全く人の知らないところへ隠すか、逆に、一番人が知っている所へ隠すかでしょう。見つからないようにする方法としては。

 中途半端な所へ隠したら、すぐ見つかってしまうでしょう。

 ですから、私たちは、伊勢の風日の宮にマナの坪が入っていると見ていますよ。

 

 天照大神の正式名称が面白いのです。

みんなが、歴史学者や神社の宮司までもが、みんな別物だと思っているわけですね。

 アマテルクニテル、これまさに天照大神です。そしてヒコ、これ、先道を案内したという、猿田彦です。それでクシタマとは二つの命を繋いでいる、併合や融和、愛のということで、ホアカリ命って、ホアカリと言いますと。これ、ホアカリって古事記にも日本書紀にも出てきますが、全ての日本の神話世界に必ず出てくるのですよ。ヒコホホデミとか。うみさきやまとか、話が出てくるのですね。

その、ホアカリの本拠はどこだと言うと、京都は丹後の籠神社なのですな。

 籠神社の神紋は、今隠されていますが、伊勢にはその神紋は残っていますよ。

 そうです、六母星です。

元伊勢事態が、イスラエルの国旗のそのものを示しているわけですな。

 その神紋を裏から見たのが出雲の亀甲紋なのです。

 だから、島根県の出雲と奈良県の三輪とは向かい合っているでしょう。

そういう聖地は日本でただ一箇所です。

 伊勢に三輪に出雲。これがカゴメカゴメの歌の正体です。

 

 カゴメカゴメ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった後ろの正面 だあれ

 

亀とは六母星で出雲を現しています。

鶴とは五母星で伊勢を現しています。

夜明けの晩とは、晩に惑わされること無く、明けの明星、金星です。

これを解くと、伊勢も出雲も世を統治したけれども、その根本は金星が丑寅金神、国常立大神を現すように、東北地方をさしているわけです。

 また、統べると滑る、入れ替わることを考えて、正統なところを見出します。

 つまり、大原様が住んでおられる岩手県北上市は古代、大倭日高見国(オオヤマトヒダカミコク)と呼ばれる古代日本の中央でした。

 今、あなたがたがこの国を日本国と呼びますが、日ノ本の語源がこの日高見なのですよ。

 うちあければ、日本の国祖、初代天皇ニギハヤヒは、日本列島の腹日本海をかけめぐり、九州から丹後そして小浜、石川、山形、秋田の鳥海山に行き、そして岩手に征き国を創って後、太平洋を渡り大阪港、難波の海より邪馬台国入りし、即鎮座したことを意味します。

 かつて岩手の作家、宮沢賢治が北上川流域一体をオランダ語のイーハトーヴォと例えた本当の意味、驚愕の事実は、実は歴史的に偉大な日本の古代中央が奈良京都よりも先に東北、これ元の言い方で東国、に協和体制の理想国家としてあったということです。

 日本仏教の真言でも、東は日の本天照大神と唱えるでしょう。

 

 これ、パンフレットさしあげますね。

 不動 ゐのり経 

 

一心に祈り奉る、香の煙はかすかなれども

 天に通じて。天よりあま下らせ給う。其時大日

 大聖不動明王。五色の雲の中よりも。御みすが

 たを顕わせ給う。あら おそろしや。くりから

 不動やまんねん。剣をさかばにかやせばあうん

 の二字が。火ゑんとなつて。なわめてまんだら

 そはかの。なみをあらくれ。金から童子が。う

 かべにあがって。せいたか童子が受けとり給ひて。

 悪病諸病をからめとつて。三つ石川原のせい

 はにたたりて。祈れや祈れや。叶うぞ叶うぞ。さん

 げさんげ。六根清浄。一より二けん。三界四は

 らい。五体の巻もの。六根清浄。七難即滅。

 八方からめて。九もつをととのへ。十ぶに祈れ

ば。神はしょじょう。なさしめ給う。ほんぎゃく

ほんじの。大ごま童子 東は日の本。天照大神

鹿しまに香取。生須の明神。神たい日輪。南は

大唐晴雲星辰。西は天竺。三世の諸菩薩。仏た

い月輪北は子のくに。出雲の御神。八百萬神。天

も感應。地神も納受。諸願も成就。

 

 

 

 

 

 

 

国常立大神、丑寅金神、ニギハヤヒ。これもみな一人称ですよ。

日本は本当は一神教なのですよ。ところが周りを欺く、だます為に、多神教にしとるわけです。で、本国のユダヤ人の方々の中でも、これを知らない人は、日本の国とは乱れた国だと思っておられるわけです。つまり、神は、最高神はただ1つ。なのに日本は、やおよろずと言って八百万もの神がいて、とんでもない国だな、と。本国から見ても欺いているわけでしょう。それで、日本国内でもまったく皆騙されているわけなのですよ。

 だけど、3柱がもうすぐ立つと思いますよ。

 いやいや、それは三輪ではないのです。

 ようするに、「御父」「御母」「御子」です。それは何かと言うと、伊勢の内宮、外宮、伊雑宮。京都の下鴨、上鴨、河合。

 わたしも、最初三輪が大事なんだと思っていたのですが。でも、そうじゃないのです。

 三輪は歴史的にこの国が併合された場所です。

 三輪、三和、美和、三ノ輪、箕輪と、全国的に地名として経緯が残されています。

 参考に、ある学者は、こう見ています。

 

【日本創世記】千田寛仁氏著「日本の朝日」によると

 4千5百〜4千9百年程前には、現在の東北地方に国が興って来ました。まさに高度なシュメール(皇)文明が逆導入された時期です。津軽で阿蘇辺王国が起こり、近畿に邪馬台王国、筑紫に熊襲王国、出雲に出雲王国、関東に日高見王国、と、続々と王国が建国されて来ました。ユーラシア大陸、朝鮮を経由して来た人々が、石川県(加賀)の三輪に移住し、100以上ある小国を統一して耶靡堆国(やまたいこく)を建国しました。
 耶靡堆日子(やまとひこ)とも阿毎氏(あめ)とも言われる初代王は、耶靡堆国明日香(やまたいこくあすか)の箸香(はしはか)の山を三輪山(みわやま)と名付けました。
 その後、加賀(かも)の三輪山神を現在の奈良県桜井市へ移し、これを三輪山大神として、その土地の大杉に住む白蛇を大物主神(おおもののぬししん)として祀りはじめました。
(三輪山は、秋田黒叉山同様、日本のピラミッドです。)
 この時に耶靡堆国(やまたいこく)は国号を耶馬臺国(やまたいこく)と改めました。
この下に筑紫九州を耶馬一国、南海道三重和歌山を耶馬二国、出雲を耶馬三国、東国関東以上を耶馬四国と称しました。後に耶馬台族の安日彦王が耶馬臺国中央の王になり、合わせて五人の王を立てて政治を行いました。
 多くの小国の族長(王)がこの時代の動きに敏感に同調して、倭国とも称される耶馬台国は、急激に頭角を表してきたのです。時代は安定したかに思われました。
 ところが、紀元前680年頃、筑紫日向高砂族の佐怒王(さぬおう)が邪馬台国へ東征を行い、再び戦乱の世となりました。まず、佐怒王は、日向王五瀬彦を送り込みました。7年もの攻防戦でも決着がつきませんでした。この間に日向軍は、出雲族と合流して戦力を高め、耶馬台軍を後退させました。
 8年後、八百隻の軍船を従えて、佐怒王と五瀬王が難波に上陸しました。
 五瀬王は、この時、長髄彦王らの耶馬台軍によって致命傷を負い、討死しました。
 そして佐怒王が将軍となりました。
 この後、難波からの上陸が極めて不可能だと考えた日向軍は、紀伊半島を迂回し、熊野を通って耶馬台国を攻めました。深傷を負った長髄彦王は戦いに敗れ、東国へ一族を連れて退去しました。安日彦王もまた、東国へ同じく退去しました。佐怒王は邪馬台国を攻略して立君し、神武天皇として大和王朝を興し、日本紀元を称したとされていますが、それはこの時期からおおよそ30年後のことです。
 一方、長髄彦と安日王は福島の会津で再開し、再起を願って東日流(津軽)へ逃れ、安日王を中央王として立君し、三輪郷(青森県弘前市)を中心に全く邪馬台国と同じ五王の制度を布きました。
 ここに秋田の熟族、岩手の麁族を併合、長髄彦王らが津軽に来る前には晋の時代に敗れた遺臣、その一族が大陸から稲を運んでいて、津軽の日之本国荒覇吐王朝は豊かでした。
 日之本国荒覇吐王讃日は自ら支那に赴いて馬を導入しました。
 支那へ渡った際、支那東周王朝安王と友好があって、安東将軍と呼ばれたといいます。
 騎馬軍を編成、秋田の石油を軍用に用いるなど新技術を駆使しました。
 日之本国荒覇吐王済糖彦は、この騎馬軍を5万騎に膨らませ、日之本国荒覇吐王武波日の時には念願の故地邪馬台国(倭国)を奪還しました。
 孝元天皇の邪馬台国立君を良く思わないでいる奥州各地の荒覇吐族長老達は坂東(関東地方)に興日彦王を立君し、彼を日之本荒覇吐王国正王としました。
 これに激怒した武波日彦王は、荒覇吐族を脱して、自らを日本天皇と新め、(出雲、南海道、筑紫、山陽、山陰)を統一して王国を形成しました。
 坂東の日之本国と出雲の日本国が激しく紛争を繰り広げたのが、秦始皇帝の甲戌20年だと伝わります。
 またこの合戦の地が邪馬台国(倭)の那古、現在の名古屋です。
 つまり、名古屋が西国と東国の堺でした。
 孝元天皇の子供がやがて父のように邪馬台国を再び統一しました。
 三輪山に即位したその人物は後に、開化天皇と呼ばれ民衆に親しまれる存在です。」

 まぁ、この三輪が石川、奈良、青森、奈良、九州と遷都を続けているわけですな。

 一般論としての皇紀2664年ですが、何を根拠とするかは全く定かではなく、北海道の函館でも9千年前の漆器が見つかる、あるいは何万年前の遺跡が見つかるなど、年代を断定することは、今は出来ないのですよ。

 それこそ、古いと言えば私の家は今分かっているだけで3万年続いていますからね。何が古いかを論ずるよりも、今生あることに感謝せずにはいられません。

この著者にしても、この書を書かれた2003年の時点では、紀元前680年が神武の東征であったと、学説、文献をまともに受けているわけです。

 詳しいことは、その皇紀について言い出した神道の人たちの弁を聞いて確かめてみてください。」

 

 過去の一般の学者達は、このように何か国取り物語みたいに、乗っ取ったとか、支配したとか、そういう考え方をしていますね。神武が東征した、と。

一般の学者達の間では神武が東征してきて畿内に攻めてきて、で、この地に大和朝廷を作ったと、こうなっているわけです。

 そうじゃないのですよ、実際は。

 実際は、正統に、王として邪馬台国三輪山に即位したのです。

 最初は、三輪には日弥呼という人が居て、そして日弥呼が邪馬台国を上手くコントロールしていた。ところが、日弥呼がある日突然亡くなったわけです。

 それで、日弥呼の娘に後継ぎを任せたが、今度逆に治世が治まらなくなってしまったのですね。その治世を治めるにあたって現れたのが河内の国に降臨したニギハヤヒだったというわけですな。

 それで、河内斑鳩宮に降り立ったニギハヤヒということで、石上というのはその点で大事になってきます。

 石上で、ニギハヤヒは自らの剣を鎮めて、邪馬台国全土の7万人ともいわれる首領たちを集め、平和公約を宣言、この国ではじめて調印が行われ、協和国が誕生したわけです。

 

 

 ここで、石上に伝わるひふみ祝詞の現代語訳のパンフレットを差し上げましょう。

 つまり、これが、ニギハヤヒ大王の誓いの言葉です。

 

 

 ひふみ祝詞*1996年石上神宮奉納 千田寛仁著 

{ひふみよ いむなや ことを ちろらね しきる ゆる つあぬ そほたは くめかうおえに さりえてのます あせへほれ け ふるべ ゆらゆらと ふるべ}

 生まれ出て、上より恵まれ、下から慕われ、物事がまさに始まろうとしている。
 様々な「人」、「物」、「情報」が、集まってきて、万事は順調にゆく。
 信義を、もって対処するならば、良縁に恵まれる。
 万物が、生まれ、少しずつその範囲を広げて、全ての事物が凝りなると、準備万全、
 まさに、水蒸気のように運気が立ち上がって、進みゆき、栄える。
 人に、親しみを得れば、人々の和を得て栄える。順風満杯とは、まさに、このことである。
 次に、この成就したもの、「組織」、「会社、「機関」などが、親子上下で背きあい、
 小さく分裂する。
 それらは、陰陽共に相和して、栄えてゆく。
 それらが、あるがままに、進んでゆくという事は、力強く、変化に満ちているので、
 蟻一匹殺さない様な気持ちで、よくよく、心和らかに対処してゆくべしである。
 我々の願い、「世界の和平樹立」は、徐々に浮かび上がることは、成り難い。
 陰陽の因子が、並び、共通の求める幸せの為に吉祥を招き、天地「男女、善悪、陰陽」
 が、一つと成った時に、世界の全ての願いは成就する。
 苦しむ人は楽になり、盛んな人は、衰える。是をもって、万邦は、和楽する。
 全ての人が、幸運を得て、立ち上がる。因って、何人も、人の求めに応じて、
 全ての事に一歩退いて、対処することが、必要である。
 
 平常なる心で活きてゆこう。心配することはない、大丈夫だ、平常なる心で活きてゆこう。

 

 だから石上が、わたしは一番気になって、本当かどうかを確かめにその周辺を探っている途中、昨日偶然、黒塚古墳へ行って来たんですよ。

 黒塚の33面、日弥呼のいわゆる鏡。だから、私もまだ、黒塚が日弥呼の墓なのか、それともあの、箸墓古墳なのかははっきりとは分かりません。

 箸墓古墳が日弥呼の墓だと言われていますがね。

 箸墓古墳自体は、三輪山の祭神、大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の墓とされているからには、大物主神はニギハヤヒですが、時代的には崇神の御子、垂仁なのですから妻となると、日弥呼の娘イヨの墓であるのかもしれません。

 何かよく分かりませんが、「わらわは三輪の神ぞ」と詠い、羽衣をまとった貴婦人が夢に出てきたのですよ。

 これが何を現しているのかは私にもわかりません。

 しかし、ひょっとすると、正統な日本の王である天照ニギハヤヒの協和政治、天照にも匹敵する力を持っていた女王日弥呼が、もう一度この国に慈悲の心を呼び覚ませと訴えかけておられるのかもしれませんね。

 今に繋がる天皇は、百済から三国の戦いのうちに逃げてきたわけです。朝鮮半島から南に逃げたらもう、海しかありません。

 百済の武寧王の末裔なわけです。

 それは、近年のワールドカップ、日韓サッカーの時、今上天皇が公に国民を前にご自分の口で言われたわけです。

 それが、テレビでも新聞でも報じられたわけですな。

 

 

 新羅はニギハヤヒ、アメノヒボコ、これ大倭(オオヤマト)と言ったわけです。

 天皇家は、侵略者としての汚名を払拭するために、もともとわたしたちは最初から居たということにしようとして、日本書紀や古事記を作ったわけですな。

 

神武はいて居ない。

 応神は在って在る

 

 日弥呼の鏡には、興味深い言葉が記されています。

 それを、日本の歴史家ではなく、世界的な歴史学権威が訳したところ、とんでもない言葉が浮かび上がってきました。

 『われは、在って在るものなり』と、いう言葉なのですが、これはユダヤの方々を奮い立たせたわけですよ。

 なぜなら、これこそが、ヤーウェともエホバとも西洋で言われている天御中主(アメノミナカヌシ)のことなのです。

 まさしく、西洋ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の本となった旧約聖書には「われ(神)は東から現われ 西で集め 給う」とあります。

 西洋の数々の将軍たちを安堵させ、勝利へと導いたのが「大倭軍」そのものの存在であることが分りますかな。

 日弥呼の時代、ニギハヤヒの時代、日本そのものがアジアであったということです。

 明治時代の神道、日本政財界や軍人は、一瞬それを思い出して、1945年まで潜在的な太古の帝国を復活しようとしたわけですな。

 血がたぎったわけですよ。

 結果は、多くの国民を死なせ、日本から文化と資財を損失するはめになったわけですが。しかし、本筋は日本は帝国などというおぞましい響きのものではなくて、皇国だったわけです。軍事力は世界を凌ぎはるかに大きいが、協和体制の目下にその軍事力があり、協和体制を崩そうとする賊徒を平定するために軍備があったわけです。

 だから、現在のわがままな大国とは軍の捉えかたが根本的に違うわけですな。

 ボーダーレスな免疫という意味での軍事力、そして文明に文化、思想。

 現に、皇国の末裔であるあなたがた日本人は、自衛隊にイラク派遣を許してはいない。

 理に叶わない戦、大義のない戦は端からしないのですよ、日本人は。

 

 つまり、誰が日本人で誰が日本人らしからないかがここでわかりますね。

 差別はいけませんが、世界の民族の平安のためには、政財界にそのような類のものを置いておくことがいかに危険か理解しないといけませんな。

 おおよそ、イラク派兵を望む政財界の出自は日本ではないということです。

 大体が帰化人の子孫だと思いますね。

 日本人は、大義の無い争いはしませんからね。

 それをしたら、日本の誇りも威厳も無くなりますから、彼ら政財界のやっているような真似は国民なら出来ないんですよ。

 恥を知る、という意味でもですね。

 あなたの国の独裁者も、歴史上の独裁者とその国の末路がいかに悲惨であるかを周知するべきでしょう。

 現に、大儀の無い派遣遠征に行った隊員たちが今どんな処遇を受けているかご存知ありませんかな。平成15年12月、ついこの間ですが、オランダ軍がサマワ付近で劣化ウラン弾と見られる砲弾を見つけておるのですよ。

 劣化ウランで一旦地上が汚染されると、その汚染から解き放たれるには45億年かかるのですから、一体アメリカという国の思慮の浅はかさがますます浮き彫りになってきますね。また、この爆弾の原料はプルサーマル核燃料だというのですから、これをアメリカに売っている今の日本政府には相当の責任があるわけですな。

 オランダ軍が米政府にムサンナ州への劣化ウラン弾使用について照会したところ、サマワ周辺の数箇所で使用したとの回答があったといいます。

 福田官房長官は「自衛隊の活動には問題は無い。」と言いますが、自衛隊の体調には大問題なことぐらい分からないのですかね。これが、派遣に同じた代償なのだから、かえって高くつきましたよ。

 まぁ、自衛隊員が気が付くことは無いかもしれませんがね。

 気が付かないから、行っておるのだし。

 自衛隊が持たされている放射線探知機は、γ線専用のものであってα線を検出することができないのですから、彼らに派遣を命じた者は大変なしっぺ返しを受けますね。

 それにしても、なぜに、明治から、協和体制を樹立した天照大神を盾に、その名を汚す戦争に神道が突入したというのでしょうか。

 しかし、本当に日本神道を知る一部の神官らと軍人は、天照大神の名を汚したくない一心で、なおかつ、古代日本を復古したいと言う願いから畝傍に新しく御陵を造営し、橿原神宮と名付け、祭神ニギハヤヒには新たに神武と名付けて、天理は邪馬台国首都にある大和神社をさしおいて、明治から日清、日露戦争に、やれ盧溝橋事変に大東亜戦争、これ太平洋戦争と問題が書き換えられていますが、そう、突入していったわけです。

 橿原神宮を中心としても、古い時代の人たちは皆知っているわけですよ。

 明治の政策で神社を造営したという一部始終を、実際に工事現場を見ているわけですから。

 大東亜戦争の戦況は、ミッドウェイ海戦、インパール、アメリカはダグラス=マッカーサーのフィリピン占領によって絶望的となり、要するに、鉄も石油も食料までもが、どうしようもない状態だったのです。

 秋田のLPGを有効活用するにも技術が乏しく、専ら重油も切れてきた、帝国大学では原子力研究をはじめ、爆弾や内燃機関のエネルギー源を原子力、に移行する計画がありましたが、プルト二ウム産出先のソビエトの謀反によって、これもあたわず。

終には松や鰯から油を取り出し、鉄の変わりに強靭なベニヤ板の革新には繋がったにせよ、まったくそんなものがB29空飛ぶ要塞には、かなうわけが無かったのです。

 日本人は、死ぬつもりだったんですよ。

 

 そう、どうにもならなくなって、最後に、明治以降作り上げた神武ではなく本来のニギハヤヒ大和神社の御魂を乗せて軍艦は出航したのです。

 そして、最期の大型戦艦に、日本の思いを託したのです。

 神仏は尊し、されど神仏に頼らず、敬い、日々精進するという『武蔵』の心。

 かつては、アジアの皇国として、世界の高嶺として栄えた慈悲の国『大和』の心。

 

 それぞれが、大きな力を秘めたまま戦果を上げることも虚しく、日本の海に沈んでいったのですね。

 神仏を敬うからこそ、神仏を利用、悪用しないという武蔵魂。

 どんな国の人でも、温かく迎える、大和魂。

 歴史はじめの奈良大和、戦争当時から首都であった東京武蔵。軍艦に込められた深い悲しみが分かりますかな。

 日本は帝「ミカドゥ」を掲げず皇「スメラ」を掲げていれば、敵を増やして戦うことなく、大東亜共栄圏を再現できたのでしょうな。

 銃口の向けどころを間違えていたのですよ。

 罪無きアジア同胞を銃殺したことは、汚点だけでは済まされない日本の恥です。

 アジアの人に限りません。天照大神や日弥呼の教えは誰も殺してはならないということです。

 撃つならば、人間の悪しき心を撃たなくてはならないのです。

 これは、まさに三輪山平等寺に鎮座する不動明王の剣のことです。自分自身の貪欲を制するための剣が、最も必要なのです。

 古代日本には、今も伊勢神宮で唱えられる祝詞がございます。

 アハリア アソバスト マウサヌ アサクラニ アマテラスオウミカミ オリマシマセ

このアハリアとは、天皇天照への恩をアダにして、日本人を混迷へと誘う邪心のことです。怒りと恨みと私利私欲という人間の愚かさ、心の闇にうったえかけて、日本人同胞の命にまで危害を及ぼすという、とんでもないものたちのことなのですよ。

 

 旧皇国首都、三輪を守るために、古代の神官たちは三重県伊勢に遷都して、祈りを続けてゆきました。日本国民が、故国の利己主義者たちによって骨抜きにされることを恐れたのです。

 世の中には、純粋なるもの、利己なるもの、邪悪なるもの、の極めて三つの存在があり、この純粋なるものは、本当によく魂を磨いていないと、悪なる他の二つの要素によって吸収されてしまいます。

 それこそが、闇の存在です。

 この、心の闇を照らすものこそ、大物主であり、世の明かりとは、恩という一文字につきるのでございます。

 大物主ニギハヤヒが最も人々に教えになられたかったことは、感謝の心なのですな。

どれだけ、世界の多くの難民が、女王日弥呼はじめ、その先祖三輪に鎮座する天皇(スメラミコト)に救われてきたかが、分らないでいるのですよ。

 石油を我が物顔で牛耳るエジプトの人々は、エジプト最古の王朝、まさにイム(忌部氏)を天皇が遣わし、電気、ガス、水道、医療、建築技術をはじめ、文明を授けた日々のことを今は知るよしもないです。

 各世界文明の誕生地には、必ずといって白い絹の装束に杖、そして髷を頭の両脇に結った、いわゆる太古日本の縄文人の姿が伝承されています。

 エジプトは石の文明ですね。日本の文明はもともと、石を使った文明でした。古代の人々は簡単に木を切ることを良しとはしなかったのです。

 木は水を蓄え、太陽の恵み果実を実らせ、さらに酸素を作り出す、おおいなる生き物ですからね。

 他の惑星において木を軽んじたことによる過去の過ちに気がついた飛来者を中心に、必然的に石工が誕生しました。

 飛来者である皇祖天皇は、御自ら、文明を皇子皇女御子息に託しました。

 そして、三輪の地から16の方向に人と共に文明が広まって行ったわけです。

 皇祖天皇の文明が世界文明の基盤を整えてきたのですね。

 石工の跡は、与那国島の沖、海底にも見受けられますし、地球の水位の変容によってこれからどんどん見ることができるようになりますよ。

 石切り場は石切り場であって、海底都市ではないのですね。

 

 ピラミッド建造の上では、工事の最終段階において大量の御影石を必要としました。

 ピラミッドの姿は今の私たちが見るような凸凹した階段状ではなく、本来はその四方表面が真平であり、光り輝いていたということです。

 

何万年という時が経ち、ある巫女がこのアジアの王でした、ここにやっと日弥呼が登場するのですが、スサノオともニギハヤヒとも言われる人物が、日弥呼亡き後の三輪に日弥呼の娘婿として鎮座したわけです。

 この時期には、日本はまったく木の文明へと推移していたのです。

 このスサノオは、出雲の国に木造の大神殿を建てます。

 高さ約50m、全長約130mの巨大な木造建築です。

しかし、これが何を意味しているのかというところで、出雲の旧神殿と、ピラミッド内部の構造がこれ陰陽であることに気が付くはずです。

 

ここで、少し旧約聖書の話をいたしましょう。

千田寛仁氏著「日本の朝日」より

【地球人類の歴史で考えるべき点と線のはじまり】

さて、宇宙が生まれて137億年、地球が生まれて46億年、地球から月が分離して45億年が経つのだと科学者は言います。本当に長い時間を生命は引き継いできたのですね。ことに人間のそれぞれ先祖は祖父母、そして両親からあなたや私に至るまで、ひと時も途切れてないことに驚きと感謝をまず隠せはしません。まさに感謝です。

最初世には男性も女性も無く、機能としては男性というのにふさわしいかどうかわからない「F」の存在が神によって与えられました。まだ、細胞分裂によって生物が分派していたころです。そうして、どういうわけか、遺伝子を次の時代へと伝承するミトコンドリアが生物と交じり合ったとき、つまり海が出来たときに、女は生まれ、「M」の存在として世界を命で瞬く間に潤したのです。FMが交じり合って化学変化を起こし、実に色んな種類の生命体が生まれました。

今、といってもここ何千年は、生命の種が増えたり減ったりしないから大変安定した時期であるといえます。かといえ、絶滅の種があるのは、これは神が与えた人類への試練です。そう、他人事で無いという見地から実直に見て理解するならばです。6500万年前には恐竜が滅んだと言います。そして驚くことに地球上の生命は、2600万年ごとに滅んだり再生したりを繰り返しているといいます。6000年前にはシュメールの文明が開けました。この文明をもたらしたのは、二ビルという星から来た神々だと言われています。聖書ではエロヒムと呼ばれ、イスラエルではネフリム、ヤーヴェと呼ばれ、バビロニアではマルドーグと呼ばれた、伝説の神々です。神々が地球に来るまでは、あのエジプトのピラミッドは乾かしたレンガで造っていたのが、飛来神の到来以降はいわゆる地球には無い石を使って作られました。

文明はアッカドやバビロニア、ユダヤ人を介してローマそして世界へ広がりました。古代のセンムトという学者が、死後を通じてユダヤ人に教えたのは、彼の墓の内部の天井に描かれているオリオン座の三ツ星です。その下にはサーフオリオンの像が描かれています。石室の前には牡牛座のヒアゼス星団が描かれています。また、ソクデトの星、シリウスが描かれています。

注目するべきことは、この絵に彗星のような軌道を持つ天体が描かれているということです。それが、数字の8の字に描かれています。これは、二ビル星の交差することを顕しています。二ビル星の公転周期は3、600年です。面白いことに、地球が二ビル星と遭遇するのは3、600年に一回なのに、二ビル星から地球に遭遇するとなると、それは1年に一回なのだそうです。

筆者にはちと難しいので、頭の良い人は、どうかこの難題を解いてください。ひょっとすると日本童話の浦島太郎や竹取物語が何のことを風刺しているかが分かるかもしれません。

 

また、筆者は共に重大な出来事を皆様と考えてゆかないとなりません。皆様の中には「ポールシフト」と言って解る方もおられると思います。これは、惑星が地球と太陽の間をかすめて行くことによって、地軸がゆがんでしまうと言うまるでSFにでてくるような出来事なのです。ですが、これは現実にこの世界が何度も体験してきたことです。例えば奈良県の飛鳥には、亀石というものがあって、それが現在東を向いているものが西を向いたときに、日本が沈むという言い伝えがありますが、あれは何ら不思議でも嘘ではなくて、ポールシフトによって地球の天地が逆転しているのであるから、東向きが西向きになるということで、まさに過去にもポールシフトが起こっていることを古代人が教えてくれているのです。

皆様は旧約聖書のノアの箱舟のことをご存知ありませんか。また、日本神話の天の岩戸の話をご存知になられておられませんか。もしものために説明しますね。紀元前1682年とも、紀元前2340年とも言われているのではっきりとした年は分かっていないのですが、今の中東、イスラエルにあたる地域で、そのポールシフトの影響が激しく起こりました。地軸のゆがみ然り、太陽の影となって、地球は3日間、あるいは30日の間全くの暗闇に遭いました。多くの人が死に、ユダヤの12氏族はこの恐ろしい出来事を忘れることはありませんでした。その様子は、サンクトペテルブルグ博物館の中に秘蔵されているエルミタージュパピルスに、天と地が逆転した様子として余すことなく描かれています。この時のことを日本神話で天岩戸の物語として伝承しています。記述は後期の偽作であるにせよ、そこで何を象徴し物語っているかに、いかにその夜を生きた人々が恐怖に慄いたかを伺える歴史的伝説です。

それから40日40夜、雨が降り続いて、(6日ともいわれています)水は150日もの間地上を埋め尽くしたのです。このとき、神の声を素直に聞くことが出来たノアと聞いた一族と家畜が前もって用意していた箱舟に乗って救われました。船の寸法は縦150M、横40Mとあり、キリスト教の友人によると、それは今トルコで眠っているといいます。さらに世界にはノアの一族の生き残りの伝承が随所に見られ、亜細亜でも、大きい船を現す際はこの通り、8つの口と現すことから、助かった人の子孫が多く世界に伝播してゆくのが垣間見ることができます勿論、他の地域の人も生き残った人はいるのかもしれませんが、中東地域では大打撃であったに違いないです。いずれ、このポールシフトがいかに怖いかということは、お分かりいただけたはずです。過去の統計から言うと、陽が二つに見えたとき、地球はまた大変なことになるので、最低でも2ヶ月から3ヶ月分の食料と水は用意すると良いです。

 されど、恐れて飛び回る必要はありません。このことは、ホピ族やネイティブアメリカンは古くから知っています。また、わざわざ私のような素人から聞かなくとも、神を信じる人は、いつでもどこが安全なのかわかるはずです。

 自分の鼻で経験をもとに情報をかぎわけて吟味してみることは大切なことですね。それからノアの子孫は東に移り、シナルの地に平野を見つけて天まで突き抜けるような大きな塔を作りましたが、この人類の計画は途中で神の手によって中断せざるを得なくなりました。それでも場所を変えて人類は腐敗と堕落を繰り返したため、遂に神はソドムの町とゴモラの町へ硫黄と火を降らせて、そこにいた人々を滅亡させました。

 この後、アブラム(後にアブラハムと呼ばれます)は弟のロトとカナンの地にやってきて天幕(祭神)を張り祈ったところ、神はカナンの全てをアブラハムに与えると指示を下されました。神はアブラハムの忠誠を大変な方法で試されますが、アブラハムは神への信頼と忠誠を貫いたので、神は遂に全世界を地上で統治する権限を彼にあたえたのでした。アブラハムの子供のイサクの子供、つまり孫のヤコブもまた神を敬いました。ヤコブはまた人の支持も得て、イスラエルと名乗ることとなりました。イスラエルとは日本語で「神の祝福を得た」という意味です。そしてイスラエルに12の支族が出来上がります。ヤコブの子ヨセフは聡明であったため、兄弟達からねたまれ、兄弟達の策略によって商人に売られ、エジプトへ連れ去られてしまいました。ヨセフの聡明さは、エジプトのパロ(ファラオ=王)にも叶い、エジプトの王はヨセフをエジプト全国の祭司として崇めました。時は流れ、ヨセフもその兄弟も皆いなくなりました。イスラエルの子供たちはたくさん増え続けました。

「ヨセフのことを知らない」新しい王が、イスラエルの人々の聡明さと強さを恐怖して、エジプトの助産婦たちに、女子は生ませ、男子は殺せと命じましたが、助産婦達は神を恐れ、男子を生かしました。ヘブライ人の子供は、パピルスで編んだ籠に入れられ、ナイル川に流されました。パロに見つかったら只では置かないのでお母さんの苦肉の策でした。その乳児を、なんとパロの娘が偶然に発見し、モーゼと名付けて育てました。モーゼはやはりノアより先祖代々の血を継いで居ます。つまり極度の正義漢なのです。エジプト人がヘブライ人を酷くこき使っていたのを痛く思い、パロの皇子であるのにも関わらず、エジプト人を打ち殺してしまいました。またヘブライ人同志で争っているのをみかけたならば、争ってはいけないと注意するのですが、逆恨みされ、「エジプト人を殺したように私も殺すのか。」と叱咤されました。

パロはこのことを聞いて、モーゼの素性を検めて知り、モーゼを殺そうとします。モーゼはエジプトを逃れました。この時代にモーゼは助けた集落の娘と結婚しています。一方エジプトのパロは死に、奴隷となっていたヘブライ人たちは苦役のゆえに、遂に自分達の始祖アブラハムや神のことについて思い出し始めました。またその一方でモーゼもアブラハム神、イサク神、ヤコブ神、つまりモーゼの先祖の意思を聞きました。

 「私はエジプトに貴方を遣わせてイスラエルの民をエジプトから導き出そう。」そう、誓いました。

神はモーゼに言われました。

「イスラエルの人々に言いなさい。私は在って有るものの使いだと。」

神はパロエジプトに対して10の災いを与えました。これはエジプトの国が運営できなくなるぐらいの大打撃でした。いや、それ以上です。エジプトで人が生きて行けなくなるほどの事態なのです。エジプト人はさすがにこれは太刀打ちできない、神の業であることを知り、イスラエル人の解放を余儀なくされてしまいました。そして、退職金ともいえる、選別に金銀を奪取したイスラエル人は、次々とモーゼに付いてゆきました。その報告を受けて激怒したパロは、自ら戦車を率いてエジプトの全軍を結集してモーゼを討伐に向かいました。そして、パロの軍勢は遂にモーゼの一団を追い込みました。ところが、モーゼらイスラエルの民は神から祝福され、紅海を渡る事ができたのです。そうです、あのあまりに有名な紅海の奇蹟がまさにここに起こったのです。追ってきたエジプト人は、紅海を渡る事が出来ませんでした。エジプト全軍がここで海に没しました。イスラエルの人々は神を恐れ、モーゼを信じました。しかし、これからが大変です。モーゼはどうやってこの人々をまとめていったらいいか本当に考えました。それはもはや大いなる治安を維持する目的が多分にありました。そこでモーゼは神の意思に従って、シナイ山に一人登って行かれました。

そこで三日目の朝、遂に答えが出ました。

神の立法は次のことを言い、十戒といいます。

1、        ヤーヴェ以外を神としてはいけないです。

2、        偶像を造り祭ってはいけないです。

3、        神の名を乱に唱えてはいけません。

4、        6日の間働いて7日目を聖なる休み日としなさい。

5、        父と母を敬いなさい。

6、        人を殺してはいけません。生命を大切にしなさい。

7、        乱らな性行為に及んではなりません。

8、        盗みをしてはいけません。

9、        嘘をついてはいけません。

10、     すべての他人のものを貪ってはいけません。

 

神はイスラエルの民がいかなる偶像も崇拝しないようにとモーゼに申し使わされました。モーゼはこの意思を聞いて、下に居るイスラエルの民のことを心配されました。ところが、心配は的中し、心無い一部の民が神とモーゼの愛情に泥を塗るような行為に出ていたのです。イスラエルの民が作った小牛の金像を、他のイスラエル民がありがたみ、祭り、踊り、犠牲をささげはじめたのです。モーゼはこれを見て、神と共に激怒しました。つまり、偶像を祭り真実から心を偽証するこれこそが人類の過ちであり、早急にこれらの行いを見たモーゼは神の真意、『十戒』を二枚の石板に刻んだのです。

 

ここで、イスラエルの王や預言者についてお話します。

まず、モーゼからヨシュアまでは、直接神の命によって集団をまとめていました。次にあまりにも人口が増えたので、集団が集団で集団をまとめてゆきました。この頃が紀元前1300年代だと伝わります。五士師の長であるサムソンが5人の族長として集団の治安を維持し、政策を行っておりました。その後サウルの出現によってイスラエル王国が勃興し、サウルの部下であったダビデが二代王として立君しました。このダビデという人物はユダヤ民族の象徴、六母星によく例えられています。ベツレヘムで生まれた彼は実際に勇敢であり、驕りある者を許さず、凛として民衆の英雄でした。事実ダビデ王はモーゼとともに偉大な人です。三代王ソロモンは頭が良すぎ、優しかったのですが、贅沢を極めすぎたために、結局民衆が苦しみ、不信や反感を一身に受けて晩年は寂しい境遇であったといいます。

 アッシリアも紀元前928年にはイスラエルは、北イスラエル王国と南ユダ王国の二国に分かれました。紀元前600年頃、南ユダ王国を滅ぼしたアッシリアもまた滅びました。このとき、ユダヤの10部族は離散したといわれています。同じくリーハイは、イエルサレムより今のアメリカ大陸へ移住しました。リーハイの第四子で末子のニーファイと長兄レーマンが居ました。1000年の後、ニーファイの一族はレーマンの一族によって滅ぼされます。紀元前の先住民ヤレド、リーハイの子ニーファイの一族ニーファイ、リーハイの子レーマンの一族ネイティブアメリカン、そして近代移民してきた白人と黒人のうち、ヤレドとニーファイは現在見当たりません。しかし、民族が完全に滅ぶなどと信じがたいので、その血筋は今もアメリカや世界にあるものであると考えています。

 かつて我ら日本人が戦った相手であるアメリカ人が住むアメリカ大陸には、すでに6500万年前には、日本アイヌモンゴロイドが住んでいたのです。オーストラリアに到っては、日本と全く同じ縄文土器が出てきています。沖縄に伝わるミライカナイ伝説は、古代にもあった、これから地球に起こる陸地の浮き沈みを予告しています。与那国のタテガミ岩の近くには、火星にもあるスフウィンクスの顔が沈んでいます。そして、全く同じものが、オリオン座を眺めるように、たくさんあるのです。いずれ、エジプトのスフウィンクスの右足の下を考古学者かNASAが掘り起こすときがくるでしょう。そのとき、なぜ、我ら地球人が作られたか。どこから来たのか、そして、これからどのように、環境汚染災害や戦争の困難を乗り越えてゆくべきかが、解るような、気がするのです。そして、現日本国がなぜ皇国といわれ、世界全ての起源と学者らが話す理由も、解るはずです。

 

 

聖書にいうアヌンナキ、エロヒム、バビロンのマルドーグが、日本皇祖であることに気が付かないほど、現代人の精神と文明は衰退し、人々は「恩」を忘れて私利私欲に没頭しているわけですな。

 これでは、失われた文明を取り戻すことなく、また周期的な氷河期が地球に訪れ、人間は和すことなく、絶滅せざるを得ないのです。

 

 ユダヤ人は嘆きの壁に向かって救世主の到来を願っていますが、救世主も何も、皇祖の国、この極東日本を粗末にしている間は、パレスチナも本当に復興しないということです。

 イスラエルの人々も、世界のユダヤ人の怨念が中東の神アブラハムを怒らせ、人間が殺し合いを続けている悲しく恐ろしい現実に目をそむけてはいけないわけですよ。

 これ、中東の問題が、世界の魂をゆるがしているのですから。

 ユダヤ人はエジプトを追われた、と。

 そして、ユダヤ人はエジプトのファラオを、日本皇祖の子孫だと思い続けて日本を目の敵にしているわけです。

 そのエジプトから逃れて国を創っても、長くは続かず、流浪の民として世界に飛び散ったわけですよ。

 しかし、今どうですか。ユダヤ人は世界の政財界の全てに至るまでを牛耳っているではないですか。ドイツヒトラーのパトロンは、ユダヤ人そのものであったわけですから。

 地球環境の保全を真剣に考え、ゲルマン民族アーリアの存続に命をかけたヒトラーでさえ、ユダヤ人について、本当に深い慈悲で考えることができなかった。

 モーゼの十戒、これは真理の教えです。

 これは、釈迦が悟った真理の教えと同じです。

 

 人間同士命を大切にして、いたわり生きてゆくのは、真理普遍の法則なわけですよ。これを一部の人間だけが贅をきわめて、一方が空腹でいるから争いが絶えないのです。

 日本では徳川吉宗の時代、西洋では長く救いの手を差し伸べてくれない皇国日本に対してしびれをきかせ、あるミッションを組みます。

 これを、フリーメーソンというわけです。

 かつては一子相伝の石工の組織を基盤に、宗教、医療、政治、商業、工業、農業全てにいたる分野のユダヤ人と、その支持者が結集し、このユダヤ人差別ばかりする無慈悲な世の中を血族の団結によって一新しようと創設したわけですよ。

 ところが、その御一新にも、莫大な費用がかかる。

 産業改革も機に、結果血を血であらう武器商売に手をつけてしまったのです。

 

 日本時代の徳川時代幕末、ついにアメリカは、日本に開国をせまります。

 アメリカはイギリスのフリーメーソンの出張先として作られた会社CAです。

 日本上陸を前に、本当の歴史を知っているユダヤ人にしてみれば、なぜ、今の今まで手を貸してくれなかったのかと、同胞日本人に対して、怒りに思っていたことでしょう。

 しかし、日本人は潜在的に神の存在を覚え、神社仏閣参りを続けながらも、実際にはある一部の神道仏教者以外は、完全に皇国の存在を忘れてしまっていたのです。

 

アメリカの提督ペリーは、皇国としての威厳を忘れた幕末の日本人をこのように分析しています。

 「日本人は単純明快である、噂に弱く、自己分析力に欠く。また、自尊心が強く勝ち負けの計算、真実を見抜くことが出来ない。なので、一文明国が他の文明国に対して取るべき儀礼的な態度を当然のこととして要求しよう。好意的に許容してくれとは、決して懇願すまい。形式ばって儀礼好きな日本人に対しては、排他的に振舞えば振舞うほど、またいったん公言した意図を強固に守れば守るほど、畏れられ敬われる。」

また、幕末以前600年前東方見聞録から、当時医学者シーボルトを初め、様々の分野から集めた、地図、生活様式などの膨大な情報から、大艦隊を編成して軍事力の格差を見せつけ、無血開国させることができることを十分に理解していたのですな。

最近になって伊能忠敬の地図がある日突然フランスから出てきたりしていますが、1852年には既にロンドンを中心に欧米社会は「日本ブーム」で日本関係の書物がヒット、日本の情報も何も隠しようが無かったのですなぁ。

嘉永6年1853年6月7日、徳川幕府の香山栄差衛門は、国書受理決定の報せを持ってアメリカ提督ペリーの元へあらわれました。

幕府の決定は、国書は江戸で受理いたすが、回答は長崎でオランダ人か中国人の手を介していたしたく候というものでした。

アメリカ提督ペリーはこの時姿を見せずに、部下を通じて香山に通告しました。

「長崎へ行くつもりは無い。オランダ人や中国人を通じて交渉するつもりもない。もし皇帝に宛てた国書が受領されず、また、然るべき回答がなき場合、祖国が侮辱されたものと考え、その結果がいかなるものとなろうとも責任を負わない。」

 

つまり江戸への直接開国を迫ったわけですな。

 

開国という荒波は、日本に新風とともに、激動をもたらしました。

つまり、内紛がはじまったのです。

これを、今では明治維新と言っているからどうしようもない。

しかし、クーデターを起こした薩摩藩浪士や、奈良吉野の天誅組、福井県の天狗党などには、はっきりとした言いぶんがあり、長く続いた徳川体制そのもののひずみが、武家社会の中でも差別や貧困という形で起こっていたのです。

当時の役人である武士がそんな状態であったのですから、そのしわ寄せは、国民の空腹と苛立ちという形で鬱積していたのです。

 

そんな中で幕府老中・阿部正弘は、まず、第一として、日本がアメリカのように列強となることはすぐにはむりだと考えました。

第二の考えとして、植民地になるというのは是が非でも回避したいと思うわけです。

第三の考えとして、敗戦条約国とされてしまうことを避けるにはいったいどうすればいいのかを悩みました。

アヘンに滅んだ清王朝がまぶたにうかびました。

オランダからは国王からの開国勧告が通達されてきました。

国内の議論は沸騰し、戦闘意欲はあれども、武備や兵力には圧倒的な格差があると言う状態です。

兵端を開くよりかは、交易条約を結びたい。それで日米和親条約が締結するのですな。

しかし、国家は騒乱の火中のまま大政奉還。

 

大政奉還。

 

京都二条城にて二百余年にわたる徳川幕府も終焉をむかえたのでした。

そして、明治、招かれざる大日本帝国が勃興しました。

明治初年、西暦1868年、明治政府が発した神仏分離令の布告は、日本から多くの信仰と、文化をそぎ落としました。

神を敬い仏を廃する、という、廃仏毀釈の運動が、日本の神社神道を中心に全国に飛び火していったわけですな。

1年後九州薩摩においては1066ヶ寺が全廃、すなわち零になったわけです。

全国においては、70000ヶ寺、これはですね、大原様、全国の寺の3分の1です。

それから7年後の明治8年には大教院が廃止されたのを皮切りに、終に明治15年には神官と教導職の分離令が発せられました。

これより、日本神道の神官は儀礼祭祀のみに活動を制約され、本来の霊的、宗教的活動を封じ込められました。

ミイラ取りがミイラになったとはこのことですな。

結局この時点で、仏教も神道も日本から消え、骨抜きになった、やりきれない僧侶と神官が、無用の存在として社会に寄生しはじめるわけです。

つまり、世界遺産であったバーミヤンの石窟の大仏をアルカイダが破壊しましたが、その原型は明治政府ということです。

しかも、アルカイダのほうが自国を列強から守るためにやっておられるわけですから、まだましですが、アルカイダの仏像破壊の手本になったのは日本神道なのですよ。

一連を通して見ると、明治から平成の今の今まで、得をした国民は全くいない。

幕府は倒さずとも変革の時期にあったわけだし、欧米文化は来るべくして入ってきたのです。西郷隆盛は、戊辰戦争では新政府側に立ちましたが、新政府ができて、つまり、あの篤き男坂本竜馬が暗殺されてから、西南戦争を起こしました。新政府というものが結局、欧米の文化の真似事をしたいだけの賊徒に過ぎず、生活の厳しく貧しい国民のためには断じて成りはしないことを、村人の様子に感じたからです。

明治維新という集団ノイローゼ、パニック症状によって、日本国民の命、日本文化に文化財、日本資産に金銀、土地財産、秩序、日本人として生きるための誇り、愛国心、知能思考能力、倫理、など数え切れないもので、それら日本の頚椎、国髄を失ったわけです。

医学的に例えるならば今の日本は、自律神経失調症に分裂症を併発し、隣国に迷惑をかけている状態で、これを願って陥れたヤブ医者に支払う金もなくなって、借金会社から金を借りまくっているところ。もちろん支払いはミナミの帝王もびっくりですよ。

ヤブ医者と借金会社はグルーピーですからね。

この今のどうしようもない日本政府が始まったのが明治維新です。

この日本で行われた御一新には、ユダヤ人たちにとっては予期せぬ誤算でした。

それは、廃仏毀釈で神道を中心とした日本政府が破壊した寺院の多くは、いわゆる

神宮寺と呼ばれていたもので、江戸時代まで日本では神道の祭事も、仏道の教義も、一隅に神宮寺の社僧が司ってきたわけですね。

その社僧たちが崇拝してきたものが何か。

それは、ダビデの末裔でありながら、皇祖の正統たる継承者二ギハヤヒですよ。

つまり、六母星そのものです。

アメリカの星条旗の昴が何を現しているかご存知ありませんか。

あれこそは、イスラエルですよ。

 

廃仏毀釈の報せを受けた故国は、まさにその愚かな布告を一掃するために日本政府に対して宗教政策の取りやめを命令しました。

ところが、日本政府は明治5年1872年11月8日に「無檀無住寺の寺院廃止処分」の布告を出し、日ならずして皇国首都三輪の平等寺、同じく石上の永久寺は廃寺に追い込まれてしますのです。

数奇なもので、豊受エホバを祭る、談山神社を治めた神宮寺の談山護国寺妙楽寺と、春日大社に対して興福寺は、その全てを失うまでには至りませんでした。

しかし、談山護国寺妙楽寺は残すこと南門のみ、あとは神社に吸収され、正しく祭られていない状態に、興福寺は縮小され、ともに日本子孫としてわれわれは先祖崇拝のモニュメントを失ったわけで、一般の家で例えるなら、いきなり侵入した不法者が、大切な一家の仏壇を木っ端微塵にハンマーで割り、炎にさらしたと全く同じことなのです。

この神道、日本政府の浅ましさに怒り震えた故国は、日本人を獣と見なし、その処遇は、日本獣化計画を以って現在も施行されている途中です。

広島、長崎に原子爆弾が投下されたのも、マンハッタン計画という俗名がありますがこの一環です。

近年に見るところでは、薬害エイズ事件ですが、これは全国の医療機関をネットワーク化したミッションなのです。

何もミドリ十字の安部爺さん一人が悪いのではないのですよ。ただ彼が一連の最高司令官であることは確かなことです。心神喪失ということで、2004年2月23日、裁判が中止されました。本来なら有無を言わせず死刑、なのに、施行されないということは、国家レベルでの犯罪であると言っているようなものです。

このミッションでは、つまり、神に背く働きを行う人間たちを、篩いにかけるように、徐々に死に追い込むという、アハリアの仕業です。

しかし、この最大の問題は不特定の人間を犠牲にしたということです。

まったく、問題の無い正しい行いの人間にまで、犠牲を強いたことが問題です。

神とは、今の一般的な商売に使われている日本の神をさしていう言葉ではありません。

 

また、2001年の9月11日、これは見せしめとして行われました。

世界貿易センタービル2棟の全壊は、これから日本に起こる大変な惨事を予期するミッションです。火蓋は切って落とされているのです。

日本政府の総理大臣が、平和憲法を歪めて、やるべきことをやらないでいることへの報復であり、6000人の御霊が、総理大臣一人の躁鬱状態によって損なわれたことが、一番の問題となるわけです。

日本は、唯一の被爆国として、戦争の愚かさを全世界に諭し、伝えてゆかなければならないわけです。これが、敗戦と同時に世界から請け賜った任務なのであり、これを除外視するということは、つまり日本政府は、何の反省もしていないということを意味し、結局隣国の反感を喰らっているのが現実です。

そして、その報復を受けるのが、傍観者となって政治に興味を持たない一般国民です。

インフルエンザの鶏や、ダイオキシン含有の茸、そんなものを端からわざわざ大韓民国や中華人民共和国の誇り高き人民が日本へ輸出してくるわけがないのです。

つまり、日本国総理大臣が、靖国神社参拝を続ければ続けるほど、あなたがた日本人は窮地に立たされていくということです。

何ではやく、本来管氏率いる民主党に政権交代しないから、こういう惨事になっているのですよ、日本。いや小沢さんにと言うべきか。

日本は大統領制をしき、国内の諸問題解決の後には世界議会を設け、そのうえで、世界紛争のたおやかな解消、遺恨を削ぎ、和睦ならしむる平和国家として立ち直ってほしいわけですよ。

田中角栄以後、日本国体は腐り果ててしまいました。

しかし、日々泥沼を突き進み沈没してゆく日本を、われわれも黙って見ているわけにはいかなくなってきたのですよ。

 

まぁ、聞いてくださいよ、ジョージブッシュもビンラディンも石油王なわけです。

そして、ブッシュ大統領はユダヤ人を代表する立場にあり、ビンラディンは、イスラム世界を代表する立場にあるわけです。

そして、この二人が二人とも、軍事産業を司るカーラエル社の大株主なわけです。

まとめてゆけば、フリーメーソンの主要なロスチャイルド家は、どんどん$札を刷る。

しかし、この補填は完全に国際銀行JPNつまり日本に向けられる。

それでも、思慮の浅い日本の官僚は、当てが無いのにどんどん日本札紙幣を刷る、あるいは国債を発行する。アメリカには当てはあってもあっても日本には無いのです。

アメリカは日本が破産するまで、つまり日本国民全員が流浪の民(難民)になるまで追い込んでくるということを言っているのです。

つまり、皇国として態度をあらわさないなら、皇国としての資格も意味も無い、なので、死んでもらう、という極端なことを突きつけられているわけです。

日本人の中には、まるでアニメの千と千尋に出てくるのですが、ブランド好きで金さえ払えば何をやってもいいかのような愚かな行動をする者がいます。

まるで豚にされた千尋の親の類のような連中です。

それらの連中が、何をやらかしたかといえば、海外に行っては金に物を言わしてブランド品を買いあさり、現地で娼婦を買い、あげくアメリカに対してはアメリカの心であるロックフェラービルまで買収したのです。

この浅ましい現代の多くの日本人に怒り、見かねた世界屈指の投資家集団ソロモンブラザーズは、1990年あたりで一気に日本への投資を辞めたのです。

これが、バブル崩壊のきっかけであったわけですな。

大原様、おわかりいただけますか。140年に亘って欧米から黄色い猿と呼ばれ続けている日本人の縮図なのです。

 

この働き、システムを歯車として考えると、結局アメリカも、イスラム中東も、これを言いたいと言うことです。

 

「もう、われわれではどうにもならない、皇祖日本よ、我われを苦しみから救い給え。」

これは、もう、痛烈な祈りを超えた叫びであるわけです。

しかし、皇祖と敬う人は限られた一部の知識人だけであり、私もハードロックカフェなどに飲みに行った際には、彼らの本音を聞くわけですよ。

日本人は黄色い猿だということや、日本女性はイエローキャブ、つまり金さえ払えば誰とでも性交渉する使い走りなのだと。

つまり、例えて言うならこういうことです。

善良な市民が苦しみを役所に訴えるが、役所は相手にしてくれない。それで、役所で働く者の家族をチンピラを雇って脅す、ところがチンピラは金が儲かると分ったのでどんどんと、双方にけしかける。結局善良であったはずの市民も、時間が無いと言う理由で話を聞かなかった役人も最後には家族もろとも火の車になる、泥沼化の最期には絶望しかないのです。さらに、その加担したチンピラもまた、抗争によって行き着くとこまで行く。唯一これらの衝動を止める鍵を握る警察も腐敗しきって傍観するどころかチンピラに肩入れしている。

これの世界バージョンを展開しているわけですな。

江戸時代までは徳川幕府はじめ、民間の役座がこういう諍いごとにならない様にまとめてくれていたわけですが、今は結局、このままでは誰にとっても良くないのです。

我われ、この星に住む生き物として人類は、やるべきことが三つあります。

一つは、民族紛争や差別の解消。心の問題。

二つは、地球環境の浄化。物体の問題。

三つは、人間育成文化教育。魂(精神)の問題

 

人間同士の紛争をただちに止め、環境にそってやるべきことをする必要があることに早いところ気が付かなくてはなりませんな。

 WHOでも100年後、地球は1m平均水かさが増えると研究成果を報告しています。

 ならば、一夜にして大陸が沈没する過去を省みて、わたしたちは、生きる知恵と情報を世界人類に、ご近所は当たり前のように、みんなで協力して生活様式を無公害化へとあるいは実際に安全な土地へと、転進して行かないといけないわけです。

 私のバーの電気はこれすべて、シャープのソーラーシステムで賄っているのですよ。

 ある知人は「もう、手遅れだ。」と言っていますが、知らない人に知っている人が教えてあげることは、これは慈悲、ほんとうに必要なことです。

 みんながみんな助かるべきです。

 1946年の東海沖大地震の際、潮の高さが一時的に上がったという予兆がわかるわけですから、これ、みんなで観察しないとね。

 みんなで、気付く努力をしないといけませんね、自分のことなんですから。

 そういったこと、自己防衛であり、基本的なこと。

 

だから、物体的な神宮寺の復興と共に、精神的な日本民族の魂の復興が大切です。

 

ですが、それを行う最初の段階として、結局どの時代から、大切なものが入れ替わっているとか、議論しあうのではなくて、正当性を言えば、この国は邪馬台国なのだから、主は日弥呼であることを確認して「敬う」必要があるということです。

 三輪、巻向、石上一帯が邪馬台国首都です。

 つまり日本皇祖天皇の鎮座する台地です。

 

 ニギハヤヒは騒乱となったこの国を日弥呼の娘であり、長臑彦の妹であるイヨを嫁にもらい、この国を併合したわけです。

 百済は日本を侵略した事実を隠すために、日本書紀、古事記を作って、さらに天照大神を女だという事にしたわけでしょう。

 天照大神と言えばニギハヤヒなのですから、男性ですから。

 そういうことです。

 実際、神武とニギハヤヒの戦いなどないのですよ。

 だけど、タケミカツチの神が出雲の神話の話で国譲りした、と。それで、スクナヒコナ、コトシノヌシは海の彼方のヤヨイの中に沈んだと。

 そして、大国主はもう、国を譲ってもいいと言って国を渡そうとした、と。ところがタケミカツチは、百済の二二ギに戦いを挑んだわけでしょ。書記では。それで結局逃げたのが諏訪で、大きな焼け石を抱かさせて死んだということになっています。

 しかし、その諏訪に、守屋の祭りがあるわけです。守屋の祭りは、血だらけのものを供えるのですよ、神殿に。

 だけども、どうですか。今現在神殿は、血だらけのものを供えてはいけない、と忌み嫌われるではないですか。

そうでしょう。

 だから、結局、その習わしから今の籠神社の神紋がダビデのイスラエルの紋章ということを感じるでしょう。生贄というのを供える風習はこの国のやり方とは違うのですから。それに、繋がってくると、ニギハヤヒ自体の素性が、ダビデの王国から来たということが分かるでしょう。


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