第4章   
 世界のHONDA応神天皇

結局のところ、ニギハヤヒも天照大神もオオナムチも大物主も

全部、いわゆる名前がたくさん付けられている、その最終的な本体は何かというなら、それは応神天皇だということです。

 

 なぜ、それがいえるのかと言うと、ニギハヤヒは石上の祝詞にあるように、はじめ石切山、河内の斑鳩の嶺に降りたんです。これも私が調べに行きましたのですが、ニギハヤヒの遺跡や伝承が東大阪の石切に多く残っているんです。

 だから、九州から渡った今の天皇家。それを追ってニギハヤヒが河内に入ってきたということです。

 結局は、百済系と新羅系という関係にあるわけですね。

 新羅系がニギハヤヒ。伽耶国という鉄を産出する国から来たのがニギハヤヒで、今の天皇家は百済から来たわけでしょう。

 

 だから、三国の争いがありましたね。

高句麗、百済、新羅。この争いごとで、最初のうち新羅事態は小さな国であったし、高句麗が大きな国で、百済と高句麗は絶えず戦っていたわけです。

新羅は最初は弱小国でしたが、大きなほうへ味方して行って、あっちへ付きこっちへ付きしていくうちに、だんだん自分の国が大きくなっていったわけですな。

 結局、力をつけた新羅が百済を滅ぼすのですが、百済の人々は最終的に逃げるところが無くなって、海に逃げた。

海に逃げた人々が九州へ。それが、今の天皇家に繋がるわけです。

 

そのとき朝鮮半島から逃げた人々を追ってきたのが天日矛(アメノヒボコ)なんですが、アメノヒボコも天照もニギハヤヒも応神天皇も現在の神社の祭祀からいえば、実は同一人物というわけです。

 

 ニギハヤヒの伝承が秋田に残ることからもわかるように、丹後、海部いわゆる一つの物部の支配圏は壮大なものでした。

 畿内というのが奈良だけじゃないわけですよ。驚くほど広い範囲に渡るわけです。

 ところが、今の歴史学者の文献の部分では、畿内だけの支配ということになっていますね。

 畿内のニュアンスがぜんぜん違う。今現在の中国地方とか四国地方とか九州とかいうふうに割って考えているから、その全貌が見えないのかも知れませんけど、何せ新羅の王、応神なりニギハヤヒと呼ばれる大王が、かけめぐっていた昔はこの邪馬台国の支配圏は極東アジアに及んで存在していたということです。

 難しくないですよ。朝鮮半島と中国の一部を治めた人物が、日本に遠征してきて、日本まで併合したということです。

 ただ、ありがたいことは、日本を占領統治したのではなく、日本の統領であった女王日弥呼の娘を嫁にもらって、平和的に併合したというところです。

 ここに、応神の偉大さ、そして男性としての魅力があるわけです。

 ただ、今の日本人の祖先がどこからきたなんて問題には、もっと遠い場所から出てきているわけでしょう。日本で近い所でみると、高天原を韓国とみるわけです。もっと深くはモンゴルのターガマハラとか、アルタイというのか、あの辺り。

 もっと、となるとアフリカまで起源が行ってしまうわけです。

 

 起源は限りなく巡って基に戻ってくるものでしょうから、その話はよしとして、応神天皇の別名はホムダワケノミコト。本田氏の氏祖というわけですな。日本はずばり、POWERD BY HONDAなわけですよ。

 私はレースクウィーンが好きですが、F1レースは好きですかな大原様。

 「僕は・・・レースクウィーンが好いに決まっています。」


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