第3章 創世記縄文文化と日本

 

では、うんと昔、日本人の先祖の時代、縄文時代の生き方はどうであったかのでしょうか。

 縄文文化は、物理学的にも現代よりも優れていたことは岩手県や青森県で発見される遮光式土器などからも見受けられます。

高度な文明であるがゆえに、人間という生物の限界能力を知り、その上で、すべての命と共生する。自然の中に人間が共に生きるというのが縄文の文明なのですね。

 自然を壊さず、壊すなら最小限に考えて、自分たちが自然の中で暮らしてきたわけです。それで、大陸から稲作文化が入ってきて、これもまた自然の中に溶け込んだ文化であったわけですよ。そしてそれが、自分達の資本となったわけですね。

 縄文の人たちは、いわゆる採取民族であり、狩猟民族であるわけですから、自然の世界から採れる物を採って、足りない分は猟で補う、と。

そして、ヒエやらアワを育てる。さることながら米の文化というものがありませんでした。

 だけども、中国大陸から米の文化が入ってきて、まぁ、日本には中国の雲南省あたりから米が人とともに入ってきたわけです。

二ギハヤヒの弟二ギギが稲穂をたずさえて、という話。それでまた、豊受もまさに、稲の文化を受け入れたわけですね。

 まぁ、言うなら豊受とは、お稲荷さんの本家です。

 もともと豊受はウマノミタマといってお稲荷さんですからね。

 豊受はアメノミナカヌシともいいます。実は女性なのです。

 だから、今の伊勢は妙なのです。何がと言いますと、天照大神を女性としているでしょう。その女神を内宮に祭っていますよね。

 そして外宮に、豊受という女性を祭っているということは、女×女ではないですか。

 本当は、男×女でないと、生命は続かないわけですよ。

だから今日本の国は、オカマとかフェミ男とかややこしいのが大勢出来てきているわけですね。否定はしませんが、レズビアンとホモセクシャルが世の中に往行すれば、結局、人工的に人類を増やさなくてはならなくなりますね。

 何か、男が男らしく無くなって、なよなよした男が大勢出てきて、少子化も手伝って老後が心配な世の中になってしまったわけです。

 オカマもフェミ男も多すぎたら、それが普通になってきたわけです。

 仕組まれるとかどうかは、専門家に意見を任せるとしても、国という規模で考えると、同性愛者や結婚しない人すべてを容認することは、国の運営から言うとどうなのでしょうか。

 答えは公務員の財布の入り具合が知るところで、私たち一市民にはオカマやフェミ男は、多少気持ち悪いにせよ、話してみればちゃんとした考えの人だっておられるわけですし、まったく問題は無いと感じます。

 国の存続が正義というのなら、まぁ、国と言うのがアバウトでしたら、公務員の給料の維持が目的であれば今現在彼らは異常者呼ばわりされていますが、私たちのように人間が生きることは組織を作ることではない、道徳に適っていれば管理する必要が無いというのがあたりまえの素直な思考の人間にしてみれば、同性愛者も平等に正常者だと胸を張っていえるわけです。

私たちは人間に大切なことは、共存そして協和だと考えるわけですよ。

そんな事を考えると、縄文邪馬台の時代が、ようするに日弥呼が支配していた時代は、日本社会は安定していました。

ところが、日弥呼が亡くなって、結局、日弥呼の一族のイヨを首長に立てたのですが、騒乱が起こってしまったわけです。トヨだけでは治世できなかったのです。

 その治められなかったのを治めたのがニギハヤヒの子孫なのですね。

 

 イヨは日弥呼の娘でしてね。まぁ、ニギハヤヒの子孫は婿入りしたみたいな形です。

 夫婦の契りを交わしてより以降、イヨはと名乗られます。

 その夫、ニギハヤヒが、三輪巻向や石上から日本全国はもとより、極東アジアを治めたということです。

 だから、邪馬台国の九州説やら色々と説があるのですが、実際はというと、巻向石上や三輪このあたりが邪馬台国の中央であったわけです。

 ただ問題は、このことの意味が、宮津の海部氏、あの丹後の一宮と言われた籠神社が全ての秘密を握っているという事なのですよ。

 結局、この奈良の地まで丹波という名を持たせたということは、丹後の支配圏にあったということですよね。籠神社のあそこの支配圏は出雲からずうっと、三重県、驚くほど大きな範囲ですよ、名古屋までは確実にあったわけですから。

 だから、重要なのは三輪だけではないということです。結局、あの、三重県の伊雑宮という場所と京都の河合神社という場所が大事なんですよ。

 

それから、伊勢は伊勢なのですが、今現在の豊受さん、あの天照大神とか言って祭られている内宮ではなくて、伊雑宮。

イザワノ宮というのが昔あって、そのイザワノ宮で、これは面白いですよ、東日流外三郡誌の話、その中に出てくる話で神籬(ヒモロギ)、まぁ言ったら、榊みたいな木があるのですが、一年中枯れる事が無い神籬が、50穂目に枯れたというのです。

 その50が何を意味するかは、分かりますか。五十鈴川の「五十鈴」です。

 それで、天照大神は、その50穂目のヒモロギが枯れたために、「私はもう、この世から去らなければならない」と言って、ヒヌマのマナイ原、嶺山方面、旭嶺に永眠したといわれているわけです。

 嶺山といえば、自衛隊の対戦車ヘリが平成16年2月23日に墜落しましたが、あれは三重の嶺山ですが、皇祖が自衛隊のイラク派遣をこころよく思っていないことを如実に表していますね、皇祖の怒りによって日本、これから大変なことになりますよ。

 まぁ、この間、籠神社へ行ったときに、嶺山に行ったら大きな石があってその上でミケツ神やらが月読に食を与えたというような話も、現実の話としてあったということですね。

 豊受大神が、食を司るミケツ神としていわゆる田植えの技術を伝えたといわれています。

 そういえば、伊勢の伊雑宮にも田植えを伝えたという場所がありましたな。


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